2009年の8月4日から8日にかけて、第1回国際環境史学会がコペンハーゲンならびにマルモで開催された後、台湾中央研究院の当時副研究院長をされていたTs’ui-jung Liu(劉翠溶)氏の発案で、私も含めて当時の参加者有志で発足させたのが、東アジア環境史協会であった。この協会の設立と共に、日本では環境史研究会もやはり有志と共に発足させ、このホームページでもその研究会の案内をしている。
東アジア環境史協会は、その発足から2年という短い歳月で、第1回の国際学会を、10月24日から26日の3日間をかけて、台北にある中央研究院の大会議場等において、学会員の総参加者数87名そして非学会員も含めると146名の参加で開催した。学会員は、中国からは18名、香港から2名、日本から19名、フィリピンから1名、オーストラリア等から2名、ヨーロッパから4名、北アメリカから6名、そして、開催地の台湾からは35名であった。
現在東アジア環境史協会は225名の会員から成り立っているが、会員数の多い順に並べると、中国68名、台湾58名、日本55名、北アメリカ38名、ヨーロッパ14名、オーストラリア等8名、韓国5名、フィリピン3名となっている。韓国からの出席者は、第1回国際環境史学会においてもなく、その影響が出ている。今後、ネットワークが拡大されることが望まれる。
この日本の55名の内、41名が環境史研究会のメンバーである。その内の14名がこの学会に参加し、報告や司会などを行った。26日に開催された学会総会において、学会規約も決まり、初代会長に劉翠溶氏が選出され、本格的な学会始動となった。次回は2年後に再び台湾で開催されることになり、その後、開催可能な国を回ることになる。4年後は中国、そしておそらく6年後は日本での開催となるであろう。
ところで、東アジアという地域の限定でどのような環境史研究が進展するか興味が持たれたところであるが、独自の多民族、多文化、そして戦争等による独自の国際関係を有する地域での個性も十分に認識される学会となり、いずれ、学会独自のジャーナルの発行も予定されている。
ヨーロッパならびにアメリカを拠点として進展が見られた環境史研究に、新たな制度的な基盤が確立されたのである。この場を借りて、劉氏の多大な貢献に改めて感謝の意を表したい。なお、蛇足ではあるが、新たな規約の成立と共に地区代表を決めることになり、今回の日本側からの学会参加者の推挙により、不肖ながら村山が日本代表を務めることになった。あまりに広大な環境史研究の知識の領野に圧倒されるばかりであるが、各専門分野からの集学がより容易になるように可能な限り努力をしたいと考えている。
2011年10月27日