みなさま
環境史研究会の喜多川 進さんから学会の案内がありましたので転載します。(村山)
環境経済・政策学会(於長崎大学) 2011年9月24日午前
企画セッション
企画セッションタイトル 環境政策史
サブタイトル 環境政策のパラダイム転換
オーガナイザー:喜多川 進 (山梨大学)
1.企画内容/ ABSTRACT
本セッションは、環境政策における転換点を歴史的視点から明らかにするものである。環境政策の転換点としては草創期の1970年代及び地球環境問題が政治課題化した1990年代が言及されることが多いが、本セッションでは、これまでの環境政策研究では注目されてこなかった1930年代、1950年代、1980年代における環境政策及び環境政策上の理念の萌芽・発展・変容を明らかにする。そして、歴史的考察を通じて新しい環境政策理解に迫る。
本企画セッションの意義は、このような環境政策の歴史的展開の解明のみならず、環境政策研究に関する新しい学際的取り組みを進めることにもある。この20年ないし30年程の間に経済学、法学、社会学、環境史、科学史などの分野での環境政策に関わる研究は大きく発展する一方で、分野間の相互交流はほとんどみられなくなった。すなわち、各分野の発展は、分野間の隔たりを大きくするものでもあった。そのような状況のなかで、本企画セッションは、環境政策に関わる諸分野を歴史的アプローチによって架橋しようとするものである。それゆえ、報告者及び討論者として、これまでほとんど学問的交流のなかった西洋史、環境史、環境法、技術史、環境経済学、政治社会学分野の研究者が一同に会し、歴史的視点をキーワードに環境政策に関する新しい学際的考察をおこなう。これは、環境政策の研究史において国際的にみても前例のない取り組みである。
対象とする事例、時期、国は異なるが、環境政策を歴史的に研究するという視点は、各報告に一貫している。この環境政策研究における歴史的視点の意味については、報告後の総合討論で議論を深める。
各報告の概要は、下記の通りである。
2.セッション構成
座長:及川敬貴
1930年代:保全思想・行政の源流
報告1タイトル/ 「イギリス帝国の土壌浸食をめぐる議論」
水野祥子 九州産業大学 (西洋史・帝国史)
1930年代イギリス帝国の科学者/官僚の間では、土壌浸食が深刻な問題として浮上していた。本報告では、かれらの土壌保全をめぐる議論を分析し、保全思想の枠組みを明らかにするとともに、土壌保全が植民地政策のなかでいかに位置づけられたのかを問う。その際、ダスト・ボウルを経験したアメリカが及ぼした影響についても考察する。
報告2タイトル/ 「環境行政組織成立試論序説―フーバーの革新、ルーズベルトの革命」
及川敬貴 横浜国立大学 (環境法)
アメリカの連邦政府では、1970年以来、設置レベルの異なる二つの中央行政機関の連携によって環境行政を推進するという体制が維持されている。しかし、かかる体制の基本形が政治の表舞台に登場し、部分的な制度化をみたのは、1930年代のことであった。それゆえ、ニューディール期の環境行政機構改革に関する考察は、「アメリカの環境行政組織がいかに誕生したのか」という大きな物語を紡ぐに当っての最初の(小さな)一歩となる。
1950年代:新しい政策への胎動期
報告3タイトル/「1950年代における原子力の『平和利用』と放射線防護」
高橋智子 山梨大学 (技術史)
1950年代のアメリカにとって放射能は化学物質汚以上に代表的な汚染物質として知られていた。 その中で原子力の「平和利用」が始まり、はじめて一般住民を対象にした放射線防護が問題にされた。国際放射線防護委員会は今から見ると予防原則に近い「できる限り低く抑える」方針を打ち出し、その考え方は基本的に今日まで維持されている。この時代になぜこうした方針が立てられたのか、議論の経緯を報告する。
報告4タイトル/「主観的公害認定の実態と理論―神奈川県事業場公害防止条例の再評価」
報告者4 野田浩二 (環境経済学)
一般的に革新自治体の登場が地方自治に基づく新しい公害政策をもたらしたといわれるが、1950年代においても公害問題は顕在化しており、地方自治体 (とくに都道府県)は公害問題に直面していた。このときの経験が、その後の制度変革をもたらしとすれば、あるいは1970年代の先進的政策の礎となっていたとすれば、これまでほとんど顧みられていない1950年代から1960年代の都道府県による公害対策に光を当てる必要がでる。本研究では、神奈川県を事例に、事業場公害防止条例下の公害ガバナンスの実態を、行政公文書等から明らかにする。
1980年代:The Brown to the Green?(茶色の頭の政治家の緑色?への転換)
報告5タイトル/ 「1980年代の日本における気候変動政策の展開と環境政治」
佐藤圭一 一橋大学 (政治社会学)
1980年 代後半から主要な政治的争点の一つになった地球環境問題は、それまでの環境政治のあり方を大きく変えるものとなった。「建設族」の一人と考えられていた竹下登が環境族を率いるようになったことは、象徴的な変化と言える。こうした「茶色」の頭の人びとの「緑色(?)」の頭への変化は、環境政治にどのような意味をもったのだろうか。ここでは、地球環境問題のうち、とりわけ大きな影響力を持った気候変動問題を中心に報告する。
報告6タイトル/ 「『環境先進国ドイツ』への転換―コール政権における環境政策の展開」
喜多川進 山梨大学 (環境政策論)
ドイツが環境先進国と評されるようになったのは、1980年代の保守連立のコール政権の時代である。1980年代ドイツの主な環境政策である大気汚染防止政策、容器包装廃棄物政策には環境政策に積極的であった緑の党や社会民主党の関与はほとんどみられない。本報告では、その時期にドイツの保守政党が環境政策を推進した過程と要因を明らかにする。保守的な環境政策は、温暖化防止政策をはじめとする今日の様々な環境政策のなかにも見出すことができるが、その萌芽を1980年代のドイツの事例にみる。
討論者 瀬戸口明久 大阪市立大学(環境史)
諸富徹 京都大学(環境経済学)
=====
環境経済・政策学会のプログラムは
http://wwwsoc.nii.ac.jp/seeps/meeting/2011/index.html
です(今後のマイナーな変更もここから入ると分かります)。ここの「プログラム要旨付き」をクリックしてください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/seeps/meeting/2011/program20110829.html